「共感:その究極要因と近接要因」
ヒトは共感する動物です。
悲しそうな顔をしている人がいれば自分の心まで悲しくなり、大変そうな人がいればこれまた同情して少し手伝おうかなという気分にもなります。
人間社会というのはサルや鳥といった他の動物と比べても極めて大きな集団を作り上げて行動しているのですが、こういった巨大な社会構造の背景にはヒトがとりわけ共感や同情に優れているからという説明もできるかもしれません。
今日取り上げる論文はこの共感について心理学、動物生態学、神経生理学の立場からの考察したものです。
動物生態学では、“なぜ”を追求するのに二つのものさしがあるようです。
一つは近接要因と言って、動物がなぜそんな行動を取るか直接的な原因を考えるようなもののようです。
これは例えば怯えたイヌがキャンキャン喚き立てるのは、大きいイヌが来て、それが恐怖に関わる脳の部位を刺激して、攻撃を促すようなホルモンが出て、血管が拡張して・・・というようなものが近接要因になるのではないかと思います。
もう一つは究極要因といって本質的にその行動が何の意味を持つのかというのを考えるようなものです。先のイヌの例でいけば自分のDNAを残すために、生命保存を目的として吠えるというのが究極要因による説明になるのではないかと思います。
この論文によると、この共感機能の近接要因的な説明として、人を含む様々な動物には感覚を運動に変換するような仕組みがあるからではないかということが述べられています。
笑っている人を見ると自然と頬が緩み、泣いている人を見ると自分まで泣き顔になってしまう。
アクション映画を見て感情移入すると、主人公のアクションに同期して自分の身体までピクピク動いてしまう。
例はいろいろあるのですが、こんなふうに感覚を運動に変換するような仕組みがヒトを含めたいろんな動物にあり、前頭葉が発達したヒト科ではとりわけこの能力が発達していて、それゆえ共感能力も高いのではないかということが述べられています。
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【要約】
共感が果たしてどのようなものであるかについては未だに意見の一致を見ていない。感情、認知、条件付けの立場から様々な種の様々な段階の共感が考察されているが、適切な近接要因と究極要因を設定することによって、これらの考察が統合されうると考える。近接要因とは他者の状態を知覚することで、それに対応するような形で自分の体性感覚や自律神経系の変化が引き起こされるものであると考える。この仕組みがあることによって集団で生活している動物の互恵的な行動の大部分(警告行動、養育行動、情動の伝播など)が説明しうると考える。知覚-運動モデルは類似性や近接性、過去の経験や明示的な学習等による共感現象を説明しうるものである。この知覚-運動モデルと前頭葉の機能の関係については進化的立場や発達的立場から研究された様々な研究に当てはめて考えることが出来る。この知覚-運動モデルは種や年齢、状況といった設定を超えて様々な共感現象を説明しうるものであると考える。
参考URL:Empathy: Its ultimate and proximate bases.
コメント
究極要因で考えると、共感機能があるグループと共感機能がないグループが争った場合、前者のほうがお互いに協力することができ、後者を駆逐する、それゆえ進化の淘汰を生き残る、そういった説明になると思います。
在宅勤務が可能になって家だけで仕事をすれば効率が上がるかというと必ずしもそうではなく、やはりヒトというのは職場に行きたがる動物だそうです。
群れ本能というのは経済的効率性だけからでは測れないのかなと思いました。