「精神の邂逅:内側前頭前野と社会的認知」
ヒトはいろんなものを認知する生き物です。
認知というといまいち聞きなれませんが、要は見たり聞いたり触ったりして「ああ、これだ」と意識したりしますが、そういった過程が認知と呼ばれるものではないかと思います。
桜の花を見れば梅でも松でもなく「桜だ」と認知し、新しいスーツに身を包む若者を見れば芸人でも老人でもなく「新人だ」と認知する、こんなふうに情報を処理して意識に上げる過程が「認知」というものだと思うのですが、この認知に中に「社会的認知(social cognition)」と言われているものがあります。
この社会的認知というのはリンゴやみかんを認知するようなわかりやすい認知ではなく「あの新人緊張しているのかな」とか「課長忙しそうでピリピリしているな」だとか、「今のタイミングだったら話しかけていいかな」とか、直接目に見えない心の認知のような、そんなかたちの認知です。
今日取り上げる論文では前頭葉の奥深くにこの社会的認知に関わる大事な部分があることが示されています。
【要旨】
社会的な交流はヒトの生活の基盤となるものである。しかしこの社会的認知に関わる神経基盤についての理解は乏しいものにとどまっている。近年神経科学と社会心理学を統合するアプローチによって、社会的認知における内側前頭前野の役割が注目されている。本稿ではこの内側前頭前野の社会的認知に関する働きについて解剖学的、機能的特徴について言及した研究を取り上げ説明を行う。そして社会的認知処理過程における内側前頭前野の機能的に異なる役割について理論的に説明を行う。
参考URL :Meeting of minds: the medial frontal cortex and social cognition.
コメント
もう少し詳しいことを書くと
この前頭葉の領域は内側前頭前野と呼ばれる右脳と左脳が向かい合わせにくっついているようなところのある領域で(図の紫色の部分)
これはまた3つの部分に分けることができ、それぞれ運動的な理解、報酬に関係するような理解、心そのものの理解に関係するのではないかということが述べられています。
もうじき2歳になる我が子が昨日ホタルイカの生姜醤油和えをつまみ食いしているところを発見され
ぽいっとお皿に戻して知らないふりをしていたけれども、こういうのは報酬(怒られる)、運動的な理解(親の視線が自分に向いて近づいてきている)、心そのものの理解(父が怒っているけど、この人は甘いから戻せば許してもらえる)などと内側前頭前野がバタバタ働いていたのかななどと妄想しました。
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