発達における三項関係的理解とはなにか?
社会脳というものが社会性を可能にするものだとしたら、社会性とはいったいどういうものなのでしょうか。
社会性とは、簡単にいえば、人と人が分かり合える能力ではないかと思います。
では人と人が分かり合うためには何が必要なのでしょうか。
普段の会話を考えてみましょう。
「これ、美味しくない?」
「あのやりかたまずいよね」
「あそこにいこうよ」
「それ、直しといてね」
いろいろあると思うのですが、共通するのは二人で同じ所を見ていて会話が成立することでしょう。「これ」「あの」「あそこ」「それ」・・・
二人で同じ方向を見ることではじめて会話が成立し、人と人とのつながりが生じ、そこに社会が立ち現れてくる。
「わたし」と「あなた」と「それ以外」、この3つを取り結ぶことが出来て、分かり合える世界が拡張する。
こういった関係を三項関係というらしいのですが、これを可能にするのが共同注視というもののようです。
これはお母さんが見ている方向を子供も目を向ける。
「あれ、たのしそうだねー」
「これ、食べてみようか」
こういった関係がお母さんと子供の間で可能となる。
あるいはあれがほしい、これ食べたいという形で子供の指差しが始まる。
この指差しは「わたしの注意している方をあなたも見て」ということで、三項関係的な認知がないとなりたたないものです。
話が長くなりましたが、人と人とが意思疎通するためには「わたし」と「あなた」と「それ以外」の三項関係が成り立たなければいけない。
かつその三項関係的な理解の基盤になるのが、指差し、ひいてはそれを可能にする共同注視ということになるのではないかと思います。
そう考えると社会脳というのは共同注視に関わる何かという風にも考えられるのかもしれない。
今日取り上げる論文は、従来1歳前後で出てくる三項関係的理解が、もっと早い段階、生後3,4ヶ月でもその萌芽のようなものが出始めていることが述べられています。
「幼児研究によって様々な社会的認知能力について数多くの重要な知見が得られてきたが、成人研究と比べれば、いまだ十分なものとはいえない。発達学、行動学、神経学的認知学の知見を統合するためには多くの困難が待ち受けていると思われる。近年なされている研究は、社会的認知発達の解明のためには様々な分野の研究を統合し、より確固たるヒトの社会的認知を明らかにしている。」
参考URL:Social cognition in the first year.
コメント
もはや古典となった「ET」という映画があって
子どもとETがお互いに指指しをしてくっつけるシーンがあったと思うのだけれども
あれは指指しが可能、つまり三項関係的理解が可能、いわば知性がある生き物だよ、指差しが知性の基盤なのだよという意味かと思ったりもするのですが、
本当かどうかはわかりません(-_-;)
ただこの日本という国は、指差しもせず、明確な呼称もなく、場合によっては視線による指示もなく、そういった状態で相手の意志を理解するという「空気を読む」技術が高く要求され
こういった国では社会脳といわれるシステムの発達の仕方も、他の文化圏とすこし違ってくるんじゃないかなどと考えました。
文化と脳というのは相互作用しながら変化し続けるものなのだろうか。
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