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「側頭頭頂接合部における体外離脱経験と精神的な自分自身のボディイメージに関する処理」

幽体離脱だと体外離脱経験とかいうと、いかにも胡散臭そうですが今日取り上げる論文はこの体外離脱体験が起こっている時に脳活動について調べたものです。

いろんな状況で脳の活動をとってみたのですが、結果を述べると側頭頭頂接合部という場所が体外離脱経験と関係があるのではないかということが述べられています。

この側頭頭頂接合部というのは見たり聞いたり動いたりといった脳に入ったいろんな情報が集まってくるような情報センターのような場所なのですが、どうも自分の身体は自分のものという感覚に関わるような場所のようです。

普段生活していると当たり前のように心と身体は一体のような気がしますが、案外これは必ずしもそうではないのかなと思いました。

 

【要約】
自分の心と体が一体であるという考え方は哲学的な議論や様々な現象から疑問がもたれるようになっている。その中でも最もインパクトが強いのは体外離脱経験というものである。私達が知るかぎり、この体外離脱経験に関わる神経認知的活動を調べた研究は殆ど無い。今回誘発電位分布図を用いて体外離脱体験に関わる領域として、電気刺激を行ってから330-400㍉秒後の側頭頭頂接合部が関与していることを示した。この側頭頭頂接合部の活動を経頭蓋磁気刺激で阻害することで、イメージ上でなされた自分自身の身体の変形課題の成績が低下することが対照実験との比較から示された。さらにてんかん患者の体外離脱経験に類似した経験に伴い側頭頭頂接合部の活動が変化することが認められた。これらの結果から側頭頭頂接合部が自分と身体の一体感に関わること、またこの領域の障害により体外離脱経験のような病的な状態が現れることが考えられた。

参考URL:Linking out-of-body experience and self processing to mental own-body imagery at the temporoparietal junction.

コメント

当たり前のようにこの私という心はすなわちこの身体だというように感じるけれどこれはどうなんだろう。

私という感覚は自分が操作できると感じられるすべての対象になるんじゃないだろうか。

車がぶつけられると、あたかも自分自身がぶん殴られたような情動反応を示したり

世界のあちこちでおこる国境を巡るトラブルや

かと思えば麻痺して動かなくなった足を指して患者さんは「こいつは全くダメだ」などとまるで自分じゃないような感じで自分の足を扱ったり、あるいは「これ、母ちゃんのあしだよ」と真顔で言ってみたり

自分感覚というのは縮小したり拡大したり転移したり、まるでお化けのようだなと思いました。

村上 昇 自分感覚とは人間特有のものなのかと思いますが、科学的に立証できるのでしょうか?

「わたしはわたしである」という感覚に対応するような脳活動はあるようです。

とはいえ、本質的な説明にはなっていないと思うのです。お釈迦様の喩え話で自分の子供をなくして苦しむ母親に向かって、「では、その苦しみを持ってきて見せてください」というふうに諭すような話はありますが

これが21世紀だったら悲しい時の脳活動を示した脳画像をプリントアウトしてきて持ってきて「これがあなたの苦しみです」といったとしても、その紙切れは決して私の苦しみでなければ、その脳活動のパターンも私の苦しみそれ自体ではない。物質としての脳もその活動パターンも、プリントアウトされたMRI画像も、ものではあるが私の「苦しみ」ではない。

「わたしはわたしである」という感覚はモノで説明できる何かではないような気がして

科学というのはモノをモノで説明するには便利な道具だと思うのですが、心というものは科学で説明できるかというと私としては難しいような気がします。うまく答えになってなかったら申し訳ないのですが(-_-;)

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