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「何が自己にとって特別なのか?神経画像研究結果についての理論的調査と批判的レビュー」

「わたし」とはいったい何かという問題は古代ギリシアから21世紀の今日の今日まで人類が一生懸命取り組んでいる課題なのですが、いまだにはっきりとしたことは分かっていないようです。

そもそもこの「わたし」という感覚そのものがぼんやりとしていてつかみどころがないというところがあるのかもしれません。

自分の体を自分と感じることもあれば、働いている会社や住んでいる国を自分のように感じたり、自分の子どもと自分を同一視したり、あるいは離人症と言って自分感覚そのものがなくなるという症状まである。

はたしてこの自分というのは脳科学的にどのように説明できるのでしょうか。

自己とはなにかというテーマに関しては脳科学の分野でも様々に調べられているのですがやはり未だにはっきりはしていないようです。

今日取り上げる論文はこの問題に深く突っ込んだものですが、結論から言うと脳の中には自己に相当するものはなく、何かに触れてそのつど浮かび上がってくるような何かではないかということが述べられています。

例えば口絵のようにバーベルを持ち上げようとする時のことを考えてみましょう。

さて挙げるぞと思った瞬間、そして今挙げているというその瞬間に私達は私達自身のカラダを自覚します。普段感じることのないジブンというものをバーベルと関わることで否応なしに自覚します。

あるいは慣れないスケート靴を履いて氷の上に立てばやはりジブンというカラダを意識せざるをえません。

ごくごく簡単にいえば私達が何かに関わろうとするといろんな身体感覚が浮かび上がっては消えていく、その流れの中に自己があるということで、脳の何処かに特定の「わたし」があるわけではないという話なのかなと思いました。

【要旨】
本稿は自己研究のパラダイムシフトを提唱するものである。本稿では過去に行われた自己に関連する様々な研究を読み返し、E-ネットワークという名のある一つのネットワークが関係していることを指摘する。これは内側前頭前野、楔前部、側頭頭頂接合部、側頭極で構成されるものであり、安静時の脳活動や他者の心を読んでいる時の脳活動、記憶の再生に関わるものである。このE-ネットワークの働きと過去の研究を考えた時以下の2つのことを言うことが出来る。

(a)このネットワークは自己認知だけに限定されない

(b)このネットワークは自己だけでなく推察や記憶の想起に関わる活動全般に関わる

筆者らはこれらの結論から今までなされてきた方法は自己を調べる方法に妥当ではないのではないかということを指摘し、そもそも自己と言うものはその主体の視点をどこに置くかで変化し、また主体と客体の関係によって変化するものではないかといういことを提唱する。またこのような主体客体関係は主体の運動指令とそこから再帰的に生成される感覚の統合から成り立っているのではないかということを指摘する。

参考URL:What is self-specific? Theoretical investigation and critical review of neuroimaging results.

コメント

ちょっと今日の話はややこしいです。興味のない人は以下は読み流してもらってよいです(-_-;)

これのもう少し詳しい話をすると

ボールを投げたりパンチしたりということをしようとすると脳の中で「きっとこんな感じがするだろうな」という先行的なイメージが湧き

それが実際にボールを投げたりパンチしたりして感覚された情報がフィードバック的に戻ってきて、先行的なイメージと統合されてという流れがあります。

つまり予想と結果を照らし合わせて運動の調整を行っていくという流れがあるのですが、その調整の場の中に「自己」というものが立ち現れるというのが今日の論文の趣旨ではないかと思います。

重いバーベルを持つときに自己が意識されるように

リストカットを繰り返す人は自己を確認したいからということをよく聞きますが

カッターナイフと身体が関わるその身体感覚の中に明確に自己というものを意識されるのかなと考えたりしました。

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