「ヒトの共感の機能的構造」
ヒトは感情の生き物です。
優しい人から厳しい人まで世の中にはいろんな人がいますが、周りを見ているとこの優しさというのは弱さと関係しているような気がします。
いろんな意見があるとは思いますが、総じて弱い人ほど優しい。
これとは反対に他人に対して厳しい人というのは強い人が多いような気がします。
これまたいろんな意見があるとは思いますが、総じて強い人ほど厳しい。
仕事やプライベートで大変な状態に置かれて苦しい時、優しい人というのは時に過剰と思えるほど気にかけてくれるのに対し、厳しい人というのは「それくらい頑張れよ」といった感じでそれほど気にかけない。
ヒトの脳には生まれつき心を読み取る能力が備わっているはずなのに、なぜこういったふうに強い人と弱い人ではリアクションに差が出てくるのでしょうか。
今日取り上げる論文はヒトの共感能力について様々な研究を元に調べたものです。
この論文によるとヒトが他人の心を推し計る時というのは自分の心をモノサシにしているそうです。
これは端的に言えば「自分だったらこう感じる」ということで、
強い人であれば「それくらい大丈夫だろう」と感じるのに対し、弱い人であれば「苦しいだろう、辛いだろう」と感じてしまう、そういうことではないかと思います。
なぜそういうことが起こるかというと、人は他人の心を感じ取る時、まず脳の中の「わたし」感覚に落としこんで理解するような仕組みがあるためだそうで、それゆえ他人の心を理解する時には個人個人でそうとうバイアスがかかるそうです。
自分と他人は違うというのは当たり前のような気がしますが、脳の構造上自分と他人をしっかり分けて認識するのは難しく、自他の区別がしっかりつけられて判断するというのは案外レベルの高い認識作業なのかなと思いました。
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【要旨】
共感とは他人の感情が自他の区別を失わないまま、あたかも自分の感情のように感じられる現象である。また共感とは他人の感情を感じるだけでなく、認識や理解といった要素も含んでいる。発達心理学や社会心理学、認知神経科学や臨床精神医学といった諸分野の研究を元に本稿ではこの共感機能は単独のシステムではなく、様々なシステムが分散並行して働いているものであることを述べる。神経表象の共有、自己意識、精神的な柔軟性、感情の制御といった物に関わるシステムがこの共感機能のベースになっていると思われる。この機能的モデルによって様々な共感機能障害の説明が可能であると思われる。
参考URL:The functional architecture of human empathy.
コメント
もう少し詳しい話をすると
脳の中には「わたしはわたし」というわたし感覚を司るようなシステムがあり、これはデフォルトモードネットワークと呼ばれています。能の中央部の内側前頭前野と後帯状皮質がそのネットワークの中心になります。
人の心を読み取る時には目に入った情報をこのデフォルトモードネットワークに落としこんで「わたし」感覚を駆動して、その人の心の中を自分の心の中で再構成します。いわば自分の心のOSを走らせて他人の心をシミュレーションします。
それゆえ共感というのは自分の心のバイアスがかかってしまうそうですが
これは心理学でいう投射(自分の認めたくない感情を他人の中に見出すような心の仕組み、防衛機制)と関係しているのかなと思いました。自分が怒っているのに「なにお前怒ってんだよ」というような感じのあれです。
優しいという漢字は「憂う人(クヨクヨする人)」というふうに分解できるのですが、本質を付いているのかなと思いました。