盲視と視床の関係とは?
「盲視」という現象があります。
見えていないのに見えている、そんな現象だそうです。
頭の後ろ側に一次視覚野といわれる領域があるのですが、交通事故や柔道なんかで後ろ頭をぶつけると、場合によってはものが見えなくなる、そんなことがあります。
そういった患者さんの前に立って、
「今から右手か左手を挙げるので、挙げたと思った方を言ってください」というと、本人は「全然見えていないんですが」といいつつ、結構な確率で当ててしまう、そんな現象だそうです。
一次視覚野が損傷してものが見えなくなった場合、「見えていないのに見えている」そんなことが起こりうる。
こういった現象を盲視というそうです。
ではなぜそんなことが起こるのでしょうか。
今日取り上げる論文はこの盲視について調べたものですが、どうやら外側膝状体がキモになっているようです。
目に入った情報というのは
網膜→視床(外側膝状体)→一次視覚野→高次視覚野
で流れていくのですが、
実はこの直線的なルートだけではなく
網膜→視床(外側膝状体)→一次視覚野→高次視覚野
↓ ↑
→→→→→→→→→→→→
という、一次視覚野をショートカットするルートもあるそうです。
このこともあって、一次視覚野が働いていなくても、きちんと高次視覚野に情報が流されるのではないかということが述べられています。
【要旨】
「一次視覚野の損傷によって視覚経験が消失しうることが知られている。しかしながら注意深く実験を行なってみると、意識的な視覚がない状態でも、視覚刺激に対応した動作が誘導されることが見受けられる。このような現象を支持する神経回路はしばしば盲視と言われているが、その詳細は明らかにされていない。本稿では、外側膝状体が一次視覚野とは独立して視覚処理に働いていることについて検討する。実験では一次視覚野を損傷させたマカクザルを使用した。外側膝状体を一時的に機能不全にさせる前後でサルに視覚刺激を与え、その時の脳活動と行動について評価を行った。結果、外側膝状体を機能不全にさせる前は高次視覚野に活動が見られ、視覚刺激に対応した行動の変化が見られた。それに対し、外側膝状体を機能不全にした後は高次視覚野の活動は見られず、行動の変化も見られなかった。これらの結果から外側膝状体は一次視覚野を経由せず直接高次視覚野に投射し、俊敏な情報処理を促していることが考えられた。」
参考URL:Blindsight depends on the lateral geniculate nucleus.
コメント
ということは「見えている」と意識するためには、一度情報が一次視覚野を通らなければいけないのだろうか。
「見えている」「聞こえている」「触っている」「匂っている」いろいろ意識をするけど、これはとどのつまりどういうことなのだろう。
ぴょんぴょん野原を飛んでいるバッタは自分が「飛んでいる」「後ろ足に力を入れている」「メスに自分の頭がかじられている」とか意識するんだろうか。
ヒトにしてもすべてを意識しているわけではなくて、例えば今着ているセーターの肌触りなんかは意識してはいない。
でもそこに気を向けることでセーターの肌触りという意識が立ち上がる。
これは他の「見えている」「聞こえている」「触っている」「匂っている」も一緒で、気を向けることではじめて立ち上がるわけで
そう考えると意識が立ち上がるためには気を向けること、すなわち「注意」というものが必要になるということになるのだろうか。
そうすると半側空間無視でもないけど「注意」と「意識」の違いってなんなんだろう。
難しいです(T_T)
と意識しています(-_-;)
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