「身体化された認知」とはなにか?
Embodied cognition(身体化された認知)という考え方があります。
人はカタチのないものをあたかもカタチのあるものに置き換えて理解したりすることができます。心が”広い”、レベルが”高い”、”暖かみ”のある人柄、”苦い”経験などなど、”色々”あると思うのですが、
ヒトというのは何か抽象的な事柄というのは身体的に認知できる形に落としこんで理解することができるようです。
こういうことから人の概念形成の基になっているのは身体感覚であるという考え方が導かれてきて、これが”身体化された認知”仮説というらしいのですが、
今日取り上げる論文はこの仮説と異なり、やはり抽象的な概念が非身体的な形で脳のどこかに何かの形で表象されており、この脳内表象と運動感覚システムが相互作用する中で具現化されるのではないかということが述べられています。
金槌についてうんちくを語る博識な失行症患者が金槌を使うことができない例として挙げられています。
【要旨】
「抽象的、概念的な思考を行っているときには、感覚や運動に関わるシステムも同時に活動していることが多くの研究で報告されている。このような結果から、概念や認知というものは”身体化”されているのではないかという解釈がなされている。しかしこのような解釈は必ずしも妥当ではない。というのも抽象的な思考にともなって、感覚運動システムが賦活されているという現象は、認知は身体的なものではないという仮説にたっても説明可能だからである。またこの”身体化された認知”仮説は実験上の結果とも多くの矛盾を示している。これらのことから、今回我々はこの”身体化された認知”と”身体化されない認知”の中間的な立場として”相互作用による基礎づけ”仮説を提示する。これは概念というものはあるレベルにおいては抽象的かつ象徴的で、この概念の具現化に際して運動感覚情報が作用するというものである。」