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知覚と運動は分けることができるのか?

ミラーニューロンシステムというのは、知覚と運動は一体的なものだという考え方だと思うのですが、こういった考え方はわりと昔からあったようです。

今日取り上げる論文は大分古いのですが、この知覚と運動は一体という考え方の嚆矢となったというLebermanという人の論文です。

何か言葉を聞くときに、一音ずつ、機械的な音を並べられても何をいっているのかわからないでしょうし、何かの音素を単独でヒョイッと聞かされても、何を行ったのかを当てるのは難しいような気がします。

日常会話の中でも一秒間におそらく何十個位の音素が耳に入ってきていると思うのですが、ヒトの脳というのはその音素の並びが何を意味していしるかをきちんと認識できる。

聴覚の機能だけを考えると、こういったことをするのは難しいようなのですが、これができているというのは、おそらく言葉の並びの中にある音素をもとに、自分の頭の中で発話機構を働かせて、そのせいで何十個の音素の並びを認知できるのではないかということが述べられています。

【要旨】

「何か言葉を聞いて、それが十分に知覚されるためには、それぞれの音素が一かたまりの音の中で捉えられる必要がある。音素というものはひとかたまりの言葉の中で符号化されることによって、聴覚上のな手がかりになり、続く音素文節の情報を運んでくる。この聴覚上の手がかりというのは、音素の前後関係によって大きく変わってくるし、音素のサイズと聴覚上の区切りがきれいに対応しているわけでもない。このように音素と聴覚上の手がかりの関係は非常に複雑であるものの、この複雑なシステムのおかげで分散的な音を効率よく知覚することが出来る。このように音素を知覚するためには特別な読み取りシステムを必要とする。このシステムが成立するようなモデルとしては発話に関わる筋を支配する神経筋システムが読み取りの基盤になっているようなものが考えられる。この読み取り方法によって、来るべき言葉をこの神経筋システムの中で再生しながら、続く音素を知覚することが出来ると考える。」

参考URL:Perception of the speech code.

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