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ワーキングメモリと身体感覚

今日取り上げる論文は、ワーキングメモリについてのものです。

記憶というのは、形があるようなないような不思議なものだと思うのですが、この記憶というものは形を持たない抽象的なものなのか、

それとも実際の動いている感じや感じている感じ、いわゆる身体感覚を具象的なものかということについては様々な議論があるようです。

今日取り上げる論文は短期記憶、ワーキングメモリというものは身体感覚的なものとしてコードされることを示した総説になります。

【要旨】
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「バドリーとヒッチによるワーキングメモリモデルは、言語的なワーキングメモリも視空間的なワーキングメモリも感覚-運動的なものとしてコードされるのではないかというものである。言語的ワーキングメモリに関してはこのモデルが適用できない事例もあり、多くの研究者から感覚-運動的なコードを含まない、新たなワーキングメモリモデルが提唱されている。本稿は近年の研究の結果をもとに、ワーキングメモリは感覚-運動的なものとしてコードされることを論証するものである。さらにはワーキングメモリにおける感覚-運動的な関わりを否定する研究を見直し、このような実験の結果がワーキングメモリが感覚-運動的にコードされるモデルと矛盾しないことを示す。今回取り上げる幅広い知見から、認知とは身体的になされるということが理論的に示されうると思われる。」

参考URL:The case for sensorimotor coding in working memory.

コメント

記憶が身体的なものかどうかと言われると、たしかにそうだろうなというような気がします。

ヒトの持つ概念というものは、それがリンゴという概念であれ、民主的という概念であれ、身体的なものとして認知されるという考え方があるそうです。

「身体化された認知」、英語で言うとembodied cognitionでいずれしっかり勉強してみたいと思っているのですが

もしその仮説がそのとおりなら、「愛」という概念がどのように身体的なものとしてイメージされるか考えてみたことがあります。

私自身で言えば、胸のあたりがほんわか暖かい、そんな身体的な感覚として、愛という概念を認知しているのかなと思ったのですが、これはおそらく、物心もつかない赤子の頃に親に抱かれて癒された記憶なのかなということを、最近子供を授かって考えるようになりました。

親に抱かれたエピソードは覚えていなくても、抱かれた安心感、暖かさを身体は深い部分で覚えているわけで、これが愛という概念のねっこの部分になっているのかなあなどと考えました。

人には優しくしたいものだと思います。

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