炎上と信念の脳科学:なぜ私たちは争うのか?
私たちは信念を持つ生き物です。
朝起きると太陽が昇って、食卓にはいつもの家族がいて、電車は時刻通りに来ると信じる生き物です。
しかし信念にはどのような効用があるのでしょうか?
一つには驚かなくてすむことでしょう。
落語の小咄の中では振り返った妻の顔がのっぺらぼうで腰を抜かす話しがありますが、自分が持っている信念がひっくり返されると、穏やかな日常生活は足元から崩されてしまいます。
それゆえ私達は自分の信念を守るために、自分の信念を否定するような相手と競り合い、時にそれは炎上に発展します。
しかしながらこういったことが起こっているとき、私達の脳はどのように活動しているのでしょうか。
今回取り上げる論文は、人間の信念に関する脳活動について調べたものです。
方法
・対象:30名の成人男女。そのうち15名は熱心なキリスト教徒、15名は無神論者。
・実験方法:
①信念に関する以下の4つの言語刺激を提示した。
②それに対し、「正しい」もしくは「間違っている」で回答させた。その間の脳活動について、機能的MRIで測定を行った。
結果
①質問全般の内容に対して、「正しい」という信念を表明するとき:
・自己意識や意図と関連する領域の活動が増加した。
・具体的には腹内側前頭前野の活動が増加していた。
②宗教的質問の内容に対して「正しい」と自分の信念を表明するとき
・情動や報酬、意思決定に関わる領域の活動が増加した。
・具体的には、島皮質、腹側線条体、楔前部、前帯状皮質に活動の増加が見られた。
③一般的質問の内容に対して「正しい」と自分の信念を表明するとき
・主に左半球の意味情報や記憶検索に関わる領域の活動が増加した。
・具体的には海馬や側頭極、脳梁膨大後部皮質の活動が増加した。
④冒涜をめぐる質問に対する信念を表明するとき
・報酬系を中心とした脳領域や意思決定、現実感に関わる領域の活動が増加した。
・具体的には腹側線条体、帯状皮質近傍、中前頭回、前頭極、下頭頂葉の活動が増加した。
※冒涜をめぐる質問とは、例としては「聖書の神は神話だ」のような問いに対し、熱心なキリス ト教徒が「間違いである」という信念を表明するときと、無神論者が同じ質問に対し、「正しい」という信念を表明するときを指す。各脳領域の反応が無神論者と熱心なキリスト教徒で逆になっている。
考察
①「正しい」という信念を表明することは、腹内側前頭前野の活動を引き起こした。腹内側前頭前野は自己意識や報酬に係るため、正しさの信念はこれらの心理と関連することが示唆された。
②宗教的な質問内容に対して「正しい」との信念を表明するときには、島皮質、腹側線条体、楔前部、前帯状皮質に活動の増加が見られた。これらの領域は、ネガティブな情動的反応や報酬、自己意識、認知的葛藤に関わる領域であり、宗教的な内容に対して「正しい」との信念は、これらの心理と関連することが示唆された。
③一般的な質問内容に対して「正しい」との信念を表明するときには、主に左半球の海馬や側頭極、脳梁膨大後部皮質の活動が増加した。これらの領域は意味や記憶へのアクセスと関連しており、一般的な質問内容に対しての「正しい」との信念は、これらの認知的活動と関連することが示唆された。
④冒涜をめぐる質問に対する信念を表明するときには、腹側線条体、帯状皮質近傍、中前頭回、前頭極、下頭頂葉に活動増加が見られた。これらの領域は、報酬や現実感に関わる領域である。この結果から、無神論者が宗教的な内容を間違いであるという信念を表明するときも、あるいは熱心なキリスト教徒が同じ内容を正しいという信念を表明するときも、何らかの快感情が伴うことが示唆された。
個人的考察
なにかを信じるというのはどういうことなんだろうとは常々思っているのですが、この研究の結果から見ると、やはり自己意識そのものとの関連が深いのかなと思いました(自己意識の中枢でもなる腹側内側前頭前野の活動が正しさの信念と関わっていたため)。
もう一つ興味深いのは、宗教的な内容を肯定するとき、例えば「神は存在する」というような命題に対して、「正しい」と答えるようなときには、認知的葛藤やネガティブな情動を反映するような脳活動が見られるという点です。
宗教とはなにか?との問は深すぎて手に負えないのですが、宗教学の本をめくってみると、ヌミノーゼと呼ばれる言葉があり、善とも悪ともつかない重い畏怖感(お寺や教会で感じるあの重くどんより、ひんやりするような雰囲気?)を指すようで、これが宗教の根本ではないかということが説かれています。このヌミノーゼの話やこの研究で示された脳活動を見てみると、神を肯定するというのは明るくさっぱりしたものではなく、なにかドロッとした重い感情が伴うのかなと思いました。
またこの研究の目玉と言えるのが、冒涜的発言に対するリアクションは、冒涜を肯定する側も否定する側も同じような脳活動、具体的にはテンションが上がるような脳活動(報酬系の中枢である腹側線条体の活動増加)を伴うという点です。
私達はしばしば何かしらの信念を巡って、感情丸出しで論争したりしますが、自分の意見を肯定するにしろ、相手の意見を否定するにしろ、そこには報酬系の活動(ドーパミンを放出する腹側線条体の活動)が伴っているようで、
信念というのはそれを肯定するにしろ、否定するにしろ、それは欲しい物を追っかけるときのような昂ぶる感情が伴うものなのかな、と思ったり、これは「追及する」という言葉にも現れているなとも思いました。
信念の取り扱いには気をつけたいものです。
【参考文献】
Harris S, Kaplan JT, Curiel A, Bookheimer SY, Iacoboni M, et al. (2010) Correction: The Neural Correlates of Religious and Nonreligious Belief. PLOS ONE 5(1): 10.1371/annotation/7f0b174d-ab93-4844-8305-1de22836aab8.