概念と身体性、言葉
キリスト教の賛美歌や教会建築、あるいは仏教の伝来のことを考えても、宗教というのは大概、音楽や美術といった視聴覚的要素がセットになって伝えられるのではないかと思います。
宗教的な悟りにしても何か身体的な体験を経て得られるという話をよく聞きます。この知覚表象システムの話でもないのですが、やはりヒトの認知、思考、概念といったものはいかに抽象的なものであっても身体から離れ得ないものなんじゃないかと思うのですがどうなんでしょう。
今日取り上げる第三節では知覚表象システムがヒトの認知全般、進化、発達といったものにどう関わってくるかが説明されています。知覚表象システムは他の動物にもあり、そこに「言葉」をのせられた種がヒトであるのではないかといったことが述べられています。
【要旨】
「第四節ではこの知覚表象システムが他の問題とどのように関わっているのかを説明する。もし知識というものを感覚運動野に基づくものと捉えるなら、対象のカテゴリー化、概念、注意、ワーキングメモリ、長期記憶、言語、問題解決、意思決定、技能、推論、表象の操作といった基本的な認知過程の捉え方すべてを変える必要がある(4-1)。この知覚表象システムの考え方は、進化や発達(4-2)、神経科学(4-3)、人工知能(4-4)とも関わりを持つものである。」
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