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「コミュニケーションにおける自然な理論は可能なのか?」

人が社会で生きていくためにはコミュニケーションが欠かせません。

朝起きれば家族とおはようと声を交わし調子の善し悪しを判断し、会社に行けば上司と言葉をかわして仕事を進め、電車に乗れば・・・というふうに絶えず他者とコミュニケーションを取りながら一日が回っていきます。

しかしながらこの”コミュニケーション”とは何なのでしょうか。それは言葉なのでしょうか、ジェスチャーなのでしょうか。

もし言葉でもジェスチャーでもない何かだとしたら動物もコミュニケーション能力を持ちえると言ってよいのでしょうか。

今日取り上げる論文はこのコミュニケーションとは何かという問題について他の動物との関係から考察したものです。

コミュニケーションの肝になる部分として自分の意図を相手に伝える、あるいは他人の意図を理解するというものがあり、これは本質的に他の動物に欠けているのではないかという議論もあったようですが、近年の研究からは猿やチンパンジーといった人以外の動物も相手の意図を読み取ることが示されているそうです。

本論ではコミュニケーションの本質的な定義として「他者と視点を共有して共に何かをすること」というものをあげており、この能力はやはりヒトしか持たないのではないかということが述べられています。

 

【要旨】
本稿は言葉とコミュニケーションの関係について論考を行うものである。チョムスキーは言語能力については科学的な理論を適用できない、なぜならコミュニケーションにおける言語というのは本質的に意図、心というものを含んでいるからだと主張している。それとは別にコミュニケーションにおける言語は理性的な解釈が可能であるという立場も存在する。本論ではこのどちらも近年なされた発達学的研究から否定されることを示す。ヒトのコミュニケーション能力とは幼児期から成人期にかけて完成されるもので、これは言葉や動作といったものから独立した能力であると考える。ヒトと動物に共通する要素として採集行動があるが、コミュニケーションとは本質的にヒトだけに限られるものであると考える。

参考URL :Is a naturalistic theory of communication possible?

コメント

印象に残った文章が「コミュニケーションとは二人で一台の車を修理するようなものだ」というようなもので

同じ目標に向かって共に何かを作り上げていくその態度がコミュニケーションだということだと思うのですが

ライト兄弟はきっとよくコミュニケーションが取れていたんだろうなと思います。

我が身を振り返って考えてみると、コミュニケーションがうまくいかないのは往々にして伝え方の問題ではなく

その前段で相手と視線を共にすることができていないことが多いような気がして

伝えるより先にまずは相手と自分で目の向く方を揃える努力が大事なのかなと思いました(´・ω・`)

子どもは一緒に遊びたがりますが、この一緒に遊ぶというのはとても大事なことなんだろうなと思います(-_-;)反省

さらにいえば一緒に飲みに行く遊びに行くというのも視線を揃えるという観点で言えばコミュニケーションを円滑にする上でやはり大事なのかなと考えたりもしました(苦手なのですが(-_-;))

またコメント等いただけたらと思いますのでよろしくお願いしますm(_ _)m

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