「ことばのない統語論:領域にまたがる統語的計算処理の神経生物学的エビデンス」
私達人間はは日々様々な表現をします。
それは多くの場合は言葉によるものが多いと思うのですが、言葉の他にも絵画、建築、舞踏、物語と様々なものがあります。しかしながらこれら表現形式に共通する何かというのはあるのでしょうか。
言葉で言えば文章を組み立てるというものがありますが、たしかに文章というのは建物を組み上げるような作業に似ています。
しかるべき材料(ことば)をしかるべき順序(文法)で組み上げていくことで一つの何かが出来上がるという点では建築も文章も一緒なのかもしれません。
ことばの組み上げにおいては脳の中の言語中枢と言われるブローカ野が大事なことは分かっていますが、ことばではない何かしらの組み上げ構造の理解にこの部分が働くかどうかというのはしっかりと分かっていなかったそうです。
今日取り上げる論文は視覚的な課題を使って言葉と同じような認知処理がブローカ野で働くかどうかについて調べたものです。
結論を述べるとブローカ野が言語以外の課題においても一定の文法的ルールに反応して活動することが示されています。
ポイント
脳の中では左下前頭葉(ブローカ野)が統語処理に関係していると言われてきた。
本研究では非言語的な視空間的情報の統語論的処理課題を行わせその時の脳活動を測定を行った。
結果、視空間情報の処理においても厳密ではない統語論的処理に際しブローカ野が活動することが認められ、これらのことからヒトの脳は高次の認知的処理に際し文法処理的な活動を示す機能があることが考えられた。
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参考URL: Syntax without language: neurobiological evidence for cross-domain syntactic computations.
補足コメント
添付の動画は宗教建築の歴史についてのダイジェストだけど
こういうのを見てると建築家というのはきっと何かを「言いたい」人なんだろうなということがよく分かるような気がする。
ましてやいいたいことが「神」という主題だったらなおさらで、その思いのたけを建築という形で表現したのかなとか、繰り返し模様のような建物の形を見ているとなんだか散文詩のようなつくりみたいだなとかそんなことを考えました。