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自覚はないのだが飄々としていると言われることが多い。その評価が本当かどうかは分からないが、霞を食って生きているか如く、いろんなものに対する執着が少ない。とはいえ、ごくごくたまに我を通さずにはいられないという場面もある。

我を通すというのは、自分の価値観の押し通すということであり、自他を傷つけるリスクを背負う。最近、珍しく我を通すような場面があり、自分でもびっくりした。

「何で人は我を通さずにはいられないのかね?」と妻に聞いてみる。それが正しいと思うからじゃない、と彼女は答える。ちなみに彼女は自らの我を通すべく頼まれてもいないのにPTAの役員になるような政治家気質である。

彼女によれば人は正しいと思うことをなしたいと思い我を通すらしい。では正しいとはどんな感覚だろうか。

真善美でもないがおそらく何かに適合しているという感覚だろう。自ら持つ内的な基準に適合していればそれは正しく、適合していなければそれは正しくない。

とはいえ人が持つ基準や物差しは様々だ。さて私の物差しはいつどこで出来上がったのだろうか。

ここまで考えてふとミームという概念を思い出した。これは文化の遺伝子というようなもので、血縁を超え、地域を超えて受け渡されていくような自己増殖性の価値観である。

いわゆる日本人らしさやアメリカ人らしさ、体育会系気質、職人魂、色々だ。こういった価値観はヒトを媒体にして自らを拡大拡散する。

ヒトは利己的な遺伝子に乗っ取られた乗り物に過ぎず、あらゆる振る舞いは遺伝子を拡散すべく組み込まれたプログラムによるものだという物騒な話がある。それでいけば、ヒトはミームという思想遺伝子を乗せたマシンとも考えられなくもない。書物やネット、実生活に巣食うミームは、乗っ取れそうな気質の中間宿主を探して入り込む。ミームに乗っ取られた中間宿主は、ミームを拡散すべく我を通さずにはいられなくなる。

今回私が我を通した件はある勉強会の取りまとめ案件だ。

勉強会は最低これだけの効果や意味がなければならない、資料は最低限これ位のレベルがなければならないという学術畑のミームに私の脳は乗っ取られているのだろう。このミームは様々な教授やセラピストを中間宿主にして数百年生き延びてきているようなミームだ。我を通さずにはいられないという現象は、脳をミームにジャックされた状態なのだろう。気にも恐ろしいことである。

果たして私達の意識や思いというのは、どこまで自由で自律的かと考えると怪しいなと思ったりです。

 

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