
「標準的な自己:よいと感じるものなのか、それとも正しいそれなのか?」
最近は人事制度に自己評価制度を取り入れてる会社も多いと思うのですが、これはなかなかやっかいです。
「仕事では責任感を持って新人職員の指導をしている」 (◯ △ ☓)
「業務にあたってはイノベーションを意識して・・・・」 (◯ △ ☓)
とかいうあれです。
これは往々にして自己評価そのまんまでだすと、上司から「それはちょっとないんじゃない」などと評価の引き下げがかかるのですが、いったいなんでこんなことが起こるのでしょうか。
今日取り上げる論文は自己評価と脳活動の関係について調べたものです。
脳の中には「わたし」システムというようなものがあるそうです。
これは自分の情報処理全般に関わるようなシステムで、わたしがいまどんなふうに感じているか、わたしというのはいったいどこの誰なのか、わたしはいったい他人にどんなふうに思われているのか、わたしはいったい何をしようとしているのかなど「わたし」に関わる情報処理全般に関わるようなシステムです。
こういったことから従来はこの「わたし」システムが客観的な自己判断に関わっているのではないかということが言われてきたのですが、今日の論文はこれに異を唱えるものです。
結論を述べるとたしかにこの「わたし」システムは自己評価に関連して活動するけれども、その活動の仕方は必ずしも「正しい」自己評価にそったものではなく「好ましい」自己評価にバイアスが掛かったものであることが示されています。
自己評価シートの記入にあたって上司と話が食い違うのはこの辺の脳の仕組みがあるためなのかなあと思いました。
【要旨】
内側前頭前野は他の領域と比較して安静時に高い活動を示すことが報告されている。この生理学的な反応はこの領域が安静時に恒常的に自己の強味と弱味を認知して意思決定に役立てていることが考えられている。しかしながら近年の画像研究からはこの安静時の標準的な活動がはたして正しい自己認知を示すのか、それとも自分が好ましいと思う自己認知を示すのかについて疑問が提示されている。
参考URL :The default self: feeling good or being right?
コメント
この自己評価というのは生き延びるためには大事な機能で
これは意思決定にあたって自分の強味と弱味を認知することで正確な判断が必要なためで、弱気すぎては利得が小さく、強気すぎてはリスクが大きくなってしまう、それゆえ正確な自己評価というのは大事なそうです。
少し詳しい話をすると
「わたし」システムというのは正しくはデフォルトモードネットワークと言われているのですが、その中でも内側前頭前野が自己評価に関連して活動するそうです。
この領域は上に述べたように「好ましい」自己評価に偏りがちなのですが、前頭眼窩野と言われる部分がこのバイアスを修正する働きがあり、まともな自己評価につなげているようです。
お酒を飲むとこの前頭眼窩野の働きが弱くなり、ついついイケイケの判断になってしまうのは、自己評価システムがうまく機能しないためであるとも考えられるそうです。
ただ成功する経営者は自己評価が高くキレやすい、どこか前頭眼窩野の働きが人とは違う感じの人が多いような気がして
多少強気の方が案外成功するのだろうかなどと思ったりもします。
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