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「一人称的な見方に関する神経相関」

私達はいろんな「わたし」を持っています。

会社に行けば会社の顔、家に戻れば家の顔、友達にあえば友達の顔、酒場にいけば酒場の顔、いろいろあると思うのですが、私達の脳はどうやってこれらの「わたし」を切り替えているのでしょうか。

今日取り上げる論文では、「わたし」という感覚は模型のように決まりきったものではなく、その場その瞬間に応じてアドリブで作り上げられるものではないかということが述べられています。

ピアノとベースの掛け合いでジャズのアドリブが展開するように、まずその時その時のわたし感覚(腹が減った/満腹だ、楽しい/悲しい、寒い/暑い)と環境(職場、自宅、楽しい友達、酒場、独りきり)が掛け合う中で、その瞬間その瞬間「わたし」というのが立ち上がってくるのではないかという話が紹介されています。

いわば「わたし」という現象は

内界⇆外界

「わたし」

ということで、「わたし」という現象は外界に直面することではじめて成立するのかなあと思いました。

【要約】
ヒトの自己意識というものは自己の心身を自己のものとして感じられることに基づいている。この自己意識を持つにあたって一人称的視点を持つことは十分条件ではないが必要条件ではある。一人称的視点を持つためには様々な感覚経験を自己を中心とした枠組みを基に自己の身体に落としこむ必要がある。この一人称的視点に関わる脳の領域として内側前頭前野、内側頭頂葉、外側側頭頭頂皮質が考えられる。これらの知見は自己というものが自己自身と環境の関係の中から立ち上がってくるという近年の神経生物学的な学説を裏付けるものであると考える。

参考URL:Neural correlates of the first-person-perspective.

コメント

外界というのは変えるのが難しいので、内界(体の調子)を整えることでよい自分としてやっていけるのかなと思いました。
この論文について詳しい話をすると
そもそもこの論文は一人称的視点に関わる神経活動について調べたものです。
一人称的視点というのは自分の視点で世界を感じているという感覚です。図でいうとこんな感じで

三人称的視点というのは自分を外から見ているようなそんな感じのものです。

この一人称的視点に関わるものとして内側前頭前野、内側頭頂葉、側頭頭頂接合部のあたりがあげられているのですが、

2003年と少し古いこともあり、三人称的視点との違いを示すには少し粗いような感じもしました。

三人称的視点というのは自分を客観的に見るようなメタ認知みたいなものとも絡んでくると思うのですが、

こういうのは茫然自失とした時の自己感覚と似ているなと思いました。

どうしてもある先生のいる大学院で勉強したくて

上司に許可を求めること三回、三年目にも「ダメ」といわれた時は茫然自失になって

あまりのショックに意識が飛んで、その瞬間あたかもガーデニングで庭の植物でも見るような感じで極めて冷めた感じで「この植物は他の場所に植え替えた方が良さそうだ」という判断して転職を決めたことがあります。

茫然自失となって一人称的視点が外れるということは決してネガティブではなく

客観的に自己を見て、主観を離れて適切な判断を下すための脳の戦略なのかなと思ったりもします。

 

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