
ジェスチャーの認識は脳の中でどのように行われているのか?
脳研究の大きな流れとして、脳というのはどこかに何かをする特別な部分があるというよりは、いろんな部分が協力していろんな機能が立ち上がってくるという見方が主流になってきているようです。
これは例えば人の心を読み取るような特殊な部分があるというよりは様々な部分が集まって一つのシステムを作り、その中で「心を読む」という現象が惹起する。
あるいは言葉を話す特殊な部分があるというよりは様々な部分が集まって一つのシステムが作られ、結果的に「話す」という特殊な能力が現れる、そういったことではないかと思います。
こんなふうに脳にはいろんなシステムが併存していて、それは視覚システムであったり、ミラーニューロンシステムであったり、いろいろいろいろあると思うのですが、こういったシステムは果たして実際にはどんなふうに働いているのでしょうか。
今日取り上げる論文はジェスチャー理解についてのものですが、ある単独のシステムがジェスチャー理解に関わっているのではなく、様々なシステムによる情報処理が並列的、相互連絡的に進んでいく中でジェスチャー理解というものが立ち上がってくるのではないかということが仮説的に述べられています。
参考URL:
Cooperation of different neuronal systems during hand sign recognition.
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ポイント
象徴的な意味を示すハンドサインはしばしば言葉によるコミュニケーション以上に意図を伝え合う上で有用である。
今回脳磁図を用いてこのハンドサインの認識を行っている時の脳活動について調査を行った。結果、一次視覚野、ミラーニューロンシステム、社会的認知と物品認知に関わるシステムが協調して活動することが示された。
特に下頭頂皮質、上側頭溝、下後頭側頭皮質が同時に活動しており、これら3領域の活動は上側頭溝で統合された腹側経路と背側経路の情報を反映しているものと考えられた。
これに加えてハンドサインの認識においては右脳優位であり、全体的にハンドサインの処理は表情認識処理と類似していることが考えられた。
補足コメント
以前取り上げたものですが、自分の研究でとても大事になりそうな論文なのでもう一度読みなおしてみました。
雲をつかむような話で恐縮なのだけれども、考える、理解するということのもどかしさについて思うことがあって
これは例えばある現象について知りたい、分かりたいと思った時にはまずその現象を切り分けることから始めるだろう。経済学であればミクロとマクロだとかいろいろいろいろ
そしていろいろ分けたあとにその分けたものを再構成して、その現象がなんたるかを知るというのがどの学問にも共通する方法なのではないかと思うのだけれども
つまりバラす→組み立て直す→理解するというような流れが「考える」という行為に共通する何かだと思うのだけれども
ばらして組み立て直すその過程から本質的なところが抜けてしまうような気がして
混沌に穴を開けていったら混沌は死んでしまったという故事でもないのですが、
考えるという行為のむず痒さを感じたりします(T_T)