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恐怖情報と注意力:気持ちのキャパとの関連とは?

「死ぬ気でやれば怖くない」などといいます。

たしかに何かに一生懸命でいっぱいいっぱいな時は恐怖を感じる余裕などない。

アレクサンダー大王は兵士の気持ちを鼓舞するために、自軍の船を焼き払ったといいます。

もう退路はない。帰れる船もない。もし生きて帰りたかったら、相手の船を奪うほかないのだと。

こういう状況だとたしかに怖さも相当減弱しそうな気もします。

今日取り上げる論文は、課題の難しさが恐怖刺激の認知に影響するかを調べたものです。

死体だとかヘビだとか血だとか、そういった情動的な情報は、意識とは無関係に自動的に目に飛び込んでくる。

それに注意してようがしてまいが目にバンっと飛び込んでくる。

こういったことから情動的な情報の処理というのは一般的な注意とは別立てで動いているのではないかということが言われています。

この論文では、注意課題の難度を上げていくと、情動情報による成績低下の影響は少なくなる傾向があることから、情動情報の処理にもやはり注意のキャパが必要なのではないかということが述べられています。

つまり意識の中に恐怖の付け入ってくる隙があるのは、まだそっちに気を向ける注意に余力があるからで、本当に気持ちがいっぱいいっぱいになって注意のキャパがマックスになっているときには、もう恐怖情報も入ってくる隙もない、そんなことかなと思いました。

【要旨】

「情動的な情報は、注意とは無関係に優先的、自動的に認知処理されると考えられている。本稿では、この考え方と反対の立場をとる。即ち、情動的な情報を処理するためにもある程度の注意が必要であるということを示す。今回行った実験では被験者に人体の切断写真からなる情動喚起刺激を提示しながら、その写真とは無関係な注意課題を行わせ、その時の反応を調べた。結果、注意課題の難度が上がるにつれ、情動喚起刺激の注意課題成績への影響が低下することが示された。」

参考URL:Load-dependent modulation of affective picture processing.



コメント

ブラジルの研究者の論文ですが、情動刺激として使っている人体切断写真があまりに生々しく、こういうのはどこかお国柄も影響するのかなと思ったりしました。

それはさておき、「死ぬ気でやれば怖くない」というのは、上記の実験からも自分の体験からもそうかなというような気がします。

ただ死ぬ気でやる状態がいつまでも続くかというと、人間の生理機能を考えたら、多分ずっとは続かない。

「死ぬ気でやれよ、死なないから」という言葉もありますが、死ぬ気でやったら時間の経過とともに一定の確率で直接的、間接的な形で命を失う人は出てくるだろうと思います。

死体や人体切断写真すら目に入ってこないほどの精神状態というのは多分人間らしさからは程遠く

ビビリと言われようが、気持ちが足りないと言われようが、やはり人間らしく生きて行きたいと思います。

 

 

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