集中力の方程式:知覚課題とワーキングメモリの関係とは?
6月に生まれた赤ちゃんの大分大きくなり、最近離乳食を食べさせ始めました。
素直にパクパク食べてくれればいいのですが、やはりそうもいきません。
数口食べれば、食べることに飽きるのかなかなか口を開いていくれませんし、目の前におもちゃががあれば気持ちがそっちに入ってしまう。視界のどこかに飲み慣れた哺乳瓶があれば、気がそっちにいって離乳食を食べてくれない。
気持ちがあっちらこっちらに流れて食事に集中してくれない。
大人は「いただきます」から始まって「ごちそうさま」まで、基本的には脇目を振らず、食事に集中(?)してくれるのですが、赤ん坊はそういうわけにはいかない。
席について、気を散らすことなくごはんを食べるというのは多分に学習された行為なんだろうなと思いました。
それはさておき、今日取り上げる論文はヒトの「集中」機能について調べた総説です。
勉強している時でも漫画を読んでいる時でも、何かに集中している時には気が散らない。
まわりであれこれ雑音があろうが、目の前を可愛い女の子が通ろうが、怖い上司が睨もうが、集中している時というのは視界に入ってこない。
しかしどういった条件の時にこんなふうに集中していられるのでしょうか。
今もあるかどうか分かりませんが、シューティングゲームを考えましょう。テレビゲームで相手の飛行機を撃ち落としたりするような、あんなやつです。
ああいった課題であれば、おそらくゲームが進んで、難度が上がれば上がるほどより集中度が高まるのではないかと思います。
つまり難度が上がれば上がるほど回りの刺激に邪魔されなくなる。もうテレビの画面しか見えない。
ここでは課題の難度上昇=集中力上昇
という関係が成り立つのではないかと思います。
次にこれとは違って何か本を読んでいる時のことを考えましょう。
何かの時代小説や推理小説でもいい。
わりにこういった読みやすい本というのは、集中して読むことが出来るのではないかと思います。
でもこういった小説も森鴎外や樋口一葉、明治時代の難しい日本語だったら、これを集中して読むというのは大分難しくなるような気がします。
さらに難しい日本語の源氏物語を我を忘れて読み込んでしまうという人はおそらく稀でしょう。
本を読むような課題の時、こういったときは課題が難しければ難しいほど集中しづらい、
つまり課題の難度上昇=集中力低下
というシューティングゲームをしている時とは逆の結果がでるのではないかと思います。
今日取り上げる論文は、シューティングゲームのように知覚課題的なものは難しければ難しいほど、他の妨害刺激の影響を受けにくい。
それに対して読書のようにワーキングメモリを必要とするような課題では難しければ難しいほど、他の妨害刺激の影響を受けやすくなるということが述べられています。
何かに集中するにしても、その対象が知覚処理課題か、あるいはワーキングメモリに関わるものかで、大分様子が違ってくるようです。
【要旨】
「目標と関係する刺激だけに注意して、目標と関係しない刺激から影響を受けないでいることは認知機能の非常に重要な側面である。しかしながら、関係のない刺激を無視するように指示してもそういったことが可能になるわけではない。近年の研究からは関係のない刺激に影響されるかどうかは、当該課題の難しさや種類に関係することが示されている。これによると知覚的な負荷が高い課題は無関係刺激の効果を大幅に減らすが、ワーキングメモリーを使用するような課題で負荷が高い場合は、これとは逆に無関係刺激の効果を高めることが報告されている。このような結果は注意と負荷量に関する様々な議論を進める上で有用であると思われる。」
参考URL: Distracted and confused?: selective attention under load.
コメント
今は長野に住んでいて
時に一人で東京や大阪の方に出かけていく機会があれば、カバンにきまって難しい本を詰めていくのだけれども
ああいうのは静かな図書館よりも適度にざわついていたほうが読みやすのは不思議なことだと思います。
課題が難しければ難しいほど、あえて力を抜くということも時には必要なのかなと思ったり
根を詰めれば必ずうまく行くというほど、人の体は単純にできていないのかなと思ったりします。
からだに正直に生きよう(T_T)
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