
私と脳とシミュレーション
般若心経でもないのですが、仏教では基本的に自己は幻という立場をとっています。これは神経科学的にどう解釈できるのでしょうか。
私たちの脳というのはいろんなことを考えます。
仕事の段取りを考えたり、目の前にいるお客さんの心の中を考えたり、あるいは昔のことを思い出したりいろいろです。
未来のこと、過去のこと、他人の心、いろんなものに人は心をはせるのですが、これら3つに共通しているのは今、ここに実在しないということです。
未来というのは今ここにないし、過去というのも今ここにはない、人の心に至っては本来見ることも触ることもできない何かです。
ではヒトの脳というのは実在しないこれらの情報をどうやって扱っているのでしょうか。
これを説明する一つの仮説がシミュレーション仮説というものです。
これは脳の中にある「わたし」感覚をテンプレートにして、その上で既存のいろんな記憶を貼り付けてシミュレーションを行っている、言い方を変えれば脳の中でその都度新たな「わたし」を創造している、そういったものです。
それを裏付けるように、過去のことを思い出している時も、未来のことを考えている時も、人の心を探っている時も、さては自分のことを考えているときも、脳の中では同じようなシステムが駆動することが報告されているそうです。
そういう意味では過去も未来も現在も、そして目に映る他人の心といったいろんな意識活動も脳内シミュレーションということで括ることができないだろうかということが述べられています。
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【要約】
自己表象とは一体どういうものかという質問に対して近年提示された考え方は、自己とはある人物の私的なこと、もしく社会生活に関わる重心点ではないかという考え方である。本稿では近年なされた研究を振り返り、内側および側頭頭頂皮質からなるデフォルトモードネットワークと外側の前頭頭頂皮質からなるミラーニューロンネットワークが相互干渉しシミュレーションを行うなかで自己表象を作り上げているのではないかということを述べる。シミュレーションを既存の情報をベースにして新たな情報を理解することであると定義すると、自己表象とは脳内の時間や空間、社会的情報や物理的情報、そういった情報を処理する様々な領域が関わる中で多面的な自己というものが現れると考える。様々な研究からこういったシミュレーションは自己に関わる様々なこと、具体的には自伝的記憶や今後の見通しを立てること、他者の視点に立つことや他者の行動や心の中を理解すること、身体的な自己象の理解に関わっていると考えられる。
参考URL:Searching for an integrated self-representation.
コメント
少し詳しい話をすると
脳の中には上記のシミュレーション機能に対応するようなシステムが有り、これはデフォルトモードネットワークと言われています。
表面からは見えない脳の内奥の領域で構成されており、主な領域は内側前頭前野と後帯状皮質になります。
人の心を読み取るといった時は、これに視覚情報を運動情報に変換するミラーニューロンシステムが接続して、目に見えた他人の様子をデフォルトモードネットワークのシミュレーションシステムに放り込む、そういった繋がりがあるようです。
脳卒中になると自分の手足を自分のものと感じられなかったり、認知症になるとあたかも違う時代の違う場所にいるように振る舞ったり、いろんな症状が出てきますが
自己というのは脳内シミュレーションであり、こういった症状はシミュレーションがうまくできていないというふうに考えられないかなと思いました。
まだマトリックスという映画は見たことがないのですが、いずれ見てみたいと思います。