
ヒト以外の動物はココロを持っているのか?
「人の心が分かる人だ」とか「あんた、まるで人の心というものが分かっていない」とかいわれる「人の心」ですが、これが分かるためには何が必要なのでしょうか?
一つは感覚でしょう。
目にも見えない、耳にも聞こえない、肌でも感じることができない、体になんにも情報が入ってこない。
そんな状態では人の心を理解するのは難しいでしょう。
もうひとつは感覚の再現でしょう。
相手の涙、打ち震える肩、握りしめた拳、激しい息遣い、感覚を通して入ってきた情報を自分の頭のなかで一人称的に再現する。
この感覚の再現がなければ人の心を感じることは難しいでしょう。
さらにひとつは記憶でしょう。
10秒前のことを覚えていられないような状態では、前後の文脈がつかめず人の心などわかるはずもない。
さらにいうなら、ひょっとしたら言葉というものも人の心を理解するのに大事かもしれない。
言葉の働きというのは世界に名前をつけて切り分けるものではないかと思います。
ひと続きの流れる時間は言葉によって「昨日」「今日」「さっき」「これから」というふうに切り分けられ、異なるものとして認識することができる。
腹につかえるモヤモヤした感情も「つらい」「かなしい」「無念だ」「やるかたない」といろんな名前をつけては切り分けて認識できる。
言葉は世界を切り分けて、わかりやすいように並べることができる。
この言葉があるので、元気がない同僚を見ても「昨日」「先輩に」「仕事のことで」「叱られて」「へこんでいるのだな」というふうに論理付けて人の心を理解することができる。
前置きが長くなりましたが、他者の心を理解するには、感じたり、感覚を再現したり、記憶したり、言葉でもって論理付けたり、いろんな能力が必要になってくるのではないかと思います。
ヒト以外の動物が他者の心を理解する能力があるかという点については随分と熱く長い論争があるようです。
この論文はヒト以外の動物にも、それがチンパンジーだったり、ワタリオオガラスだったりするけど、他者の心を理解する能力があるのではないかという立場にたって論じたものです。
彼らにもココロはある、ただ彼らには言葉がないのでそれを報告する手段を持たないだけだというまとめの文章が印象的でした。
【要旨】
「ヒト科とヒト科以外の動物の心の違いを調べる研究が何十年となされてきた。しかしながらヒト科以外の動物が他者の心を理解しているかについては明らかにされておらず、かつヒト科以外の動物が他者の心を理解するというのはどのような状態かということについても意見の一致を見ていない。本稿では以下の四点の争点について論じる。(1)言語を持たない動物にとって他者の心を理解する、あるいは表象するというのはどのようなことなのか (2)ヒト科以外の動物が他者の心を機能的に適応した方法で理解しているということをどのように評価すべきなのか (3)なぜ現行の実験方法で、動物が“心の理論”に近似したものを持っているということを証明できないのか (4)どのような実験方法であればこのようなことを証明できるのか。
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